かつて鬱で、自己否定のカタマリで、人生が楽しくなかった男が、幸せに生きる人生を見つけたら
人生ってなんなのだろう?
ヒトはなぜ生きるのだろう?
そして、俺は何のために生きて、何のために生き続けるのだろう?
はいっ、アンパンマンのマーチのように始まりましたが、
今でこそ、ココロの整体師とか言っちゃって、
毎日を楽しく生きることを全力でやってますが、
かつての俺は、対人関係もニガテで、
引っ込み思案で、思ってることの1割も言えず、
全くモテない、さえない、楽しくないの三拍子揃ってました。
特にヒドい鬱状態の時には、
何もやる気が起きない、何をしていいのかわからない、死ぬ勇気もない。
自己否定をする日々でした。
どーやって中身総とっかえするくらいの
変貌を遂げたのか?
誰かの参考にでもなればと思い、書き綴りたいと思います。
1番ヒドい落ち込み時期は、19歳の頃
大好きだったおばあちゃんが亡くなった直後からでした。
それまでも、親からの厳しいしつけと、過大な期待に対するプレッシャー、そして、全く期待に応えられていないし、自分でも満足できない日々はあったのですが、
それを緩和してくれたのは、なんといってもおばあちゃんの存在でした。
それがある日、ある時を境にして、この世からいなくなってしまった。
絶望感で、ホントに世の中が暗〜い感じにつつまれたような感覚でした。
その半年後、尾崎豊が天に召されました。
連日流れてくる、在りし日の尾崎豊の映像。
じっくり聴いたことがなかったので、
この機会に聴いてみた。
泣いた。
なぜだかわからないが涙が溢れてきて止まらなかった。
そして、布団に横たわりながら、天井を見つめ、
ゆっくり考えてみた。
なぁ、みんな 夢はあるかい
夢を追い続けることができるかい
けして、けして、自分に負けたりしないかい
君の夢が消えないように
夢が押し潰されてしまわないように
いつまでも俺は叫び続ける。
そうか、俺が一番負けてるのは
自分に負けてるんだ。
そこからよね。
人からどう見られるとか気にしててもしょうがねぇ。
自分は自分でしかない。
とりあえず自分だけでも楽しくしよう。
そして、いずれ立ち上がる時があれば、
俺と同じように落ち込んでいる人間の希望の光となろうと。
元々は医者になることを義務付けられ、
それ以外の職業の選択に自由は無かったといっても過言ではない環境。
でもね、わかったんよ。
なんでイヤイヤながらも医者を目指してたのかが。
困ってる人をほっとけないんよ。
ズバリ、そこが"価値感"なわけよ。
ってなわけで、ここら辺が立ち直り第1章というところです。
みんなもやれると思うんよね。
俺ができたくらいなんだから。
それでもなお難しいと思う方は、第2章、第3章(果たして書き綴りはあるのだろうか、乞うご期待っ‼️)にて、
さらなる対処法を知ってください。
コメントとかあると、より一層の執筆意欲も湧くっちゅーもんよー(≧▽≦)