音を楽しむと書いて音楽なのに、書道はなぜ書の道と書くのだろうか
さて、2019年も始まりました。
書き初めや姫始めを済ませた方も多いかと思われますが
書道ってめんどくさくね?
これ、ずーっと思ってました。
とてつもなくめんどくせーんです。
うちの家族って、俺以外みんな字がキレイなのに、
俺だけきったねーんよ。
だってさ、文字なんぞ読めりゃよくね?
キレイに書く必要性が微塵も感じられないんよ。
よく頭が良い人間は、思考に筆記がついていかないから字が汚いとよく言われますよね?
たぶんその類なんだと思います(笑)
幼い頃、書道教室に通ってました。
オカモトハクトーとかいう、スゲェおっさんのとこだったみたいです。
そもそもそんなスゲェおっさんに思えなかったのは、
ものすごい手直し多くて、書いても書いても手直しばかり。
この非生産的な行動って何よね?
その当時、パソコンやプリンターなんぞ普及してはいなかったけど、
お手本を写すという行為に、創造性がなく
なんとも不毛とも思える時間を過ごしてました。
今やプリンターでいろんな書体を表示できるので、
もうそれこそ書道の必要性を感じないのである。
なぜ音楽は音を楽しむと書くのに、書道は書の道と書くのだろうか?
書楽ではいけないのだろうか?
高校の授業なんて屈辱にまみれた日々でしたよ。
隣の席の西川くんが師範代とか持ってるものだから、
書道のBBA(と書いてせんせーと読む)に
西川くんの書いた西と典の文字見ながら書けと言われたこともある。
うっせー、ふざけんなBBA〜💢
という授業の繰り返し。
高校も卒業してからだけど、
武田双雲さんを知った時にはカルチャーショックだったよね。
俺は今頃、東大くらいは卒業できてたんじゃねーかって思ってる。
もっとさぁ、自由な発想で、自由にやることが創作活動につながるんじゃないかなぁ。
書道がイマイチ、アートじゃないってのは
頭のお固いジイ様方やBBAによって
閉鎖的なコミュニティで綿々と続いてきたからなんだろうよ。
コピーするかのごとく、写すだけの書道よりも
書を楽しむ書楽って流行らねーかなぁ。